2017年4月11日火曜日

日本文化の進化に学ぶ

一般的に、日本文化は「玉ねぎ文化」と揶揄されるが、多くは鎖国制度をとっていた江戸時代に、アジアや欧州から秘密裏に運び込まれた外来の製品をヒントに、日本流に改良する文化が定番化したことから、現在に伝わる伝統工芸品の大半は、日本固有の技術に由来していないことに由来している。
 しかしここで考えねばならないことは、そもそも文化とは突然発生するものではなく、様々な内外の事象の影響がある中で、自国の風土に適合した創意工夫をし、固有の感覚に合った選択をする空気感を共有することで生まれるものだと思う。
 インターネット検索が常識化した現代、様々なアイデアや知識が発信・共有され、「なんちゃって知識人」がはびこる今重要なのは、日本文化が歩んだ歴史、つまり「模倣」をしつつ一歩進んだ世界観を作り出すという姿勢こそが、次の時代を生み出すことに他ならない。

2017年4月10日月曜日

転ばぬ先の杖

「親の介護で、家族・親族間が呆然絶句の醜い争いの現実…無知な素人だけの話し合いで地獄」
http://biz-journal.jp/2017/04/post_18632.htmlより

自分自身も経験していることだが、親の介護については、先ずは介護保険への知識が最も重要となる。まだまだ平気!と思っていても、親の介護への必要性は突然訪れることが多い。
 実際にここ1年間で、私の友人が突然電話をしてきて、「もう無理だから助けて!」と親について相談を受けている。まあ介護世代になったと言えばそれまでだが、私は仕事のおかげで介護保険制度はほぼ熟知している方だが、一般の人はほぼ知らないケースが多い。大切な親のことなのに、自分の世界とはかけ離れていると、つい気を許していることが多く、家族も高齢者本人も日常生活を継続する意識しかないのが殆どだ。

 前述の記事にもある通り、あっという間に親に介護が必要になった場合、日常生活にも、さらに死に至った際の財産分与等についても、親自身の意思は反映することが不可能で、家族間で醜い争いを余儀なくされることが実に多い。

 介護生活の実態、そして親の意思が伝わらなくなっていく現実を考えれば、最近よく耳にする「終活」の必要性を、勇気をもって今からでも考えた方が良いと思うし、親本人も、「死」の話を忌み嫌うのではなく、自分らしい終末の迎え方として早いうちに取り組む必要があると思う。これは介護の現場の人間として、本当に実感している。

2017年4月8日土曜日

間違ったタイアップ

今話題の金沢で、もともと油や砂糖、小麦粉を使わないヘルシーなカレーで人気のお店で、久谷焼きの器に金箔を施したカレーを盛り、デザートは山中漆器のスプーンや器を使った、金沢満載のカレーセットを2500円(税別)で、1日7食限定で販売を開始されたようだ。
http://www.chunichi.co.jp/article/ishikawa/20170408/CK2017040802000049.html

 多分伝統工芸品の販促の一部として、大衆的な料理に活用することで、親しみを持たせ、少しでも伝統工芸品の拡販を、との思いで始まったのだと思うのだが、この手のタイアップはほとんど成果を生まない。SNSに旅の記念としてシャメに収め、一時話題性を狙った投稿は当然あるのだが、だからと言って、普通に話題のカレーを食べるならば1000円程度で食べれるメニューだけに、これで伝統工芸品の販促に繋がることを期待していいものか。その意味で、結果を生まない試みだと思う。

 そもそも伝統工芸品が何故売れないのかと言えば、美術品としては理解しているものの、シェアエコノミーが広がる現代において、その価格で足踏みしている人が殆どであるから。収入格差が明確な現代におい て、「美しいから購入したい」とする日本人は数少ない。比較的余裕のある人は、日本の伝統工芸品に対して、既に購入し続けているし、ただその数が減少している。

 ではどうすれば少しでも伝統工芸品に目を向けるかと言うと、例え普段使いが出来ないにしても、たまの「ハレの日」にはこれを使いたい!と思えるスライスオブライフを提案することにしか存在しないと思う。

 私自身も伝統工芸品は大好きだし、職人の減少を外国人が支える実態を何とかしなければと考える方だが、安直で補助金を使えば良いといったような施策を繰り返す、地域の名士様の言いなりの施策は時代遅れという認識を地域では共有しなければならないのではないかと思っている。

2017年4月6日木曜日

デザインの力

 

「デザイン」というと、ファッションや車、ポスターや絵画など、色や形、文字などを駆使して表現した「視覚的なモノ」とするのが一般的だが、数年前から企業がデザイン思考の経営戦略に舵を切っていることをご存じだろうか。最も有名なのがアイフォンを開発したアップルのスティーブジョブズ氏。彼は常に、「禅ぽくない」とか「美しくない」とかの発言で周囲を困らせたようだが、この姿勢こそが「デザイン思考」。つまり彼は、商品自体の姿形ではなく、ユーザーが手にした時の驚き喜び、そして使いやすさを実感している様に拘っていたのである。つまり、商品が生み出すユーザーとの繋がり全体をデザインしていたことになる。

 事業戦略や観光振興、さらに町づくりでも同様だが、一方的な宣伝ではなく、5W1Hで表現できる顧客との関係性全体をデザインすることを前提に、実施して欲しいと願っている。

2017年4月5日水曜日

ロボットでは介護問題は解決しないんです

HALとか介護関連のロボット導入の話題が今再燃している。
確かに介護には力仕事の部分は存在しており、ロボットのサポートがあれば楽に実行できる部分もあるのは確かだ。しかし、私は現場の人間ではないにしても、業界における介護問題の多くは、マインド・コントロールの部分にある。
 要介護者によってサポート内容は 変わるにせよ、大半は排便の問題や、徘徊や暴言による介護者における人としての尊厳部分をどう相対するかにかかっている。よって「力」のサポートというよりは、「心」のサポートが最も重要となっている。

 AIで簡単な会話ができるロボットは、要介護者の一時の気分を和らげるのには非常に有効だ。だが、やはりそれは単なる一部であり、大変の介護者の仕事は様々な対処作業だ。歩きながら小便・大便を垂れ流す要介護者への対応は、精神的な消耗が半端ではない。

2015年11月10日火曜日

やっちゃえ、ニッポン!!


 「2020年には自動運転車が利用可能な社会にする」。10月4日の京都における国際フォーラムでの安倍首相の発言だ。3人に一人が高齢者となる10年後を見据えると、この首相発言は重要な意味を持っている。
自動車による交通事故の発生件数は年々減少傾向にあるが、高齢者によるそれは、年々増加しており、昨年度の発生件数に占める割合は2割強で、10年前の約1.9倍となっている。高齢者による高速道路の逆走や、標識を無視した道路侵入などが後を絶たない。交通網が不備な地方都市では、特に車は不可欠だが、加齢が引き起こす不幸な事故は、できる限り避けたい。これを解決に導く技術が、まさに自動運転車の実用化だと思っている。
 首相の発言を知ってか知らずか、1999年に先駆けて開発していた日産が、今年8月に始めた矢沢栄吉の「やっちゃえ、日産」のCM。公道実験を阻害してきた行政にメスを入れ、民間主導で実用化が進むことを願っている。

2015年9月26日土曜日

「美しい日本」で国を二分

「美しい日本」。第一次安倍政権発足時の総理のキーワードだ。多分今も、この言葉を胸に秘めているに違いない。しかし今この言葉の解釈で、国が二分されている。「戦争法案」と揶揄される安全保障関連法案に対して、日本人の美しさに対する認識で国は二分されている。

  「美しい」と「綺麗」とは意味が異なる。前者は内面の凛とした佇まいを指すのに対して、後者は視覚的に整った状態を表す。日本が伝統的に育んだ精神社会は、前者を指す。「人事を尽くして天命を待つ」という諺があるが、これは「全ての可能性に立ち向かう姿勢が出来たならば、後は天に任せる」という意味だ。今に照らしてみれば、自利のみを貫く隣国が存在する限り、万全な備えをすべきと解釈するのが正解なのではないか。仏教の涅槃経第三にも、武器を持つことへの勧めが明記されている。 究極的な場面で、「そこまでするなら話し合うぞ!」は通用しない。

2015年9月1日火曜日

デザインの模倣の行方は


 とうとう東京オリンピックでの佐野氏のエンブレムが使用取り下げとなってしまった。結果としては、佐野氏が記者会見で説明した当初のデザインコンセプトが、採用が決定した際のデザインに反映されていなかった食い違いをみると、やはり「パクリ」と言われても反論できないだろう。
ただ考えてみると、文化とはパクリから始まるのが大半だ。特に日本は「ものまね猿」ともかつて言われており、品の無い中国のパクリとは全く異なるが、大なり小なりパクリによって玉ねぎ文化といわれる今の文化を形成してきた経緯がある。

 しかし日本の「パクリ文化」は何が違うのかといえば、最初はパクリでも、日本人にフィットした機能を追加している点にある。縮文化よろしく、団扇を扇子に形状変更するなど、機能性を重視しており、パクリではないが、ソニーのウォークマンなども機能を追求した結果の商品といえる。
 では西欧との違いは何なのかというと、日本は引き算で余計なものをそぎ落とした形を追求するのに比べ、西欧は足し算による形状の豪華さを尊重する傾向にある。所謂造形美の追求だ。

 今回の佐野氏のパクリ問題には、若干評価すべきこともあるように思う。それは、日本文化に存在する「デザインの多機能性」を持たせた点である。つまり、造形的には模倣といわれても仕方ない部分が確かにあるが、そのデザインを基にした使用の多様性を持たせている点にある。これぞ日本の機能に端を発したデザインであると言えまいか。

 今回の事案で、佐野氏への攻撃はしょうがない。しかし、パクリの範疇を考え直す機会となってくれればと思っている。

2015年6月9日火曜日

大阪の現実が日本の現実

先日大阪で行われた大阪都構想の住民投票で反対が若干上回り、橋下市長の任期一杯での政治家引退が発表された。色々と彼なりの思惑もあるとは思うが、当面は政界から離れることとなるのだろう。

 ただマスコミでも出口調査の結果が紹介されている通り、あの住民投票は、20、30歳代は6割賛成で、それ以降の世代も賛成が過半数となっている反面、70歳代のみが6割反対となっており、また市の都心部賛成で周辺部反対という結果は、まさに今の日本の社会悪を露呈している内容となっている。

 高齢者の投票率は高く若年層は低い。また都会は革新的だが田舎は保守的な傾向が強い状況は、全国どこも同様であろう。兎に角変化を嫌う高齢者層が現在の日本を牛耳っている構図が見て取れる。また政治家も「票」が欲しいため、大票田の高齢者に向けた甘い言葉の政策を標榜する。これでは、下山の域に入っている日本社会は進化することは不可能だ。

 18歳以上に選挙権を与えることがやっと決まったが、それに合わせて認知症患者の可能性が高く、また判断能力も低下している高齢者に対しても、選挙への参加を制限するような施策を検討していかなければ、これからの日本は危険領域に達していくだろう。

2015年4月6日月曜日

心が宿る伝統工芸


 伝統工芸品には、当然ながらその地方の歴史や文化、作家の心が宿っている。
 ただ、写真の「交換こけし」には、さらに買った人の気持ちと、もらった人の思い出が宿ることで、単なる伝統工芸品としてではなく、「作り手」が「買い手」と「もらい手」を繋ぐ世界観を髣髴とさせ、癒しが拡がり、実生活に取り入れてみたい気分にさせてくれる。

 この作品は、BS朝日のテレビ番組『アーツ&クラフツ商會 presented by セキスイハイム』で、放送作家の小山薫堂さんが企画・監修した伝統工芸品らしいが、さすが小山さん。感性が進んでいる。素晴らしい。

 約200年の歴史がある「こけし発祥の地」と言われる宮城県北部・鳴子温泉郷でつくられる「鳴子こけし」をフィーチャーして創作されたそうだが、一方通行では終わらない、様々な「手」を結んだ関係性マーケティングの要素を盛り込んだ本作品は秀逸だと思う。これでいいのだ!!!

2015年4月4日土曜日

言葉なくして人は動かない


 町が俄かに騒がしい期間がやってきた。統一地方選挙である。
 前から願っていることだが、投票を促すのであれば、せめて自らの公約を理論的に実現する方向性を示してもらいたい。そのためには公開討論会は欠かせないだろう。賑やかに立候補者の名前とお願いを繰り返すだけの街宣では、何の選択肢にもならない。
 
 公開討論会は、全国的にみても実施する選挙区は少ないが、島根県での地方議員選挙については、全く実施されないようだ。それでなくても、立候補者が少なく選択肢がない中で、より良い投票行動を起こすためには、立候補者の本当の考え方がわからなければ、投票所にいくことはまず考えられない。当然若者は行くはずもなく、政治への参加意識はさらに低下していくこととなる。
 
 記者会見で号泣した意味不明な県議会議員もいたが、政治離れを止めるためには、言葉の力を政治に生かして欲しいと願っている。

首相の品格

2024/11/17 AP  人をルックスそのもので判断すること(ルッキズム)は、決して正しい考えだとは思わない。しかしながら、人が直感的に見せる表情や些細な仕草そのものに、その人の本質が現れることは頻繁にある。私も自分の人生 60 年を振り返れば、初対面の人の第一印象としゃべり...