2015年9月1日火曜日

デザインの模倣の行方は


 とうとう東京オリンピックでの佐野氏のエンブレムが使用取り下げとなってしまった。結果としては、佐野氏が記者会見で説明した当初のデザインコンセプトが、採用が決定した際のデザインに反映されていなかった食い違いをみると、やはり「パクリ」と言われても反論できないだろう。
ただ考えてみると、文化とはパクリから始まるのが大半だ。特に日本は「ものまね猿」ともかつて言われており、品の無い中国のパクリとは全く異なるが、大なり小なりパクリによって玉ねぎ文化といわれる今の文化を形成してきた経緯がある。

 しかし日本の「パクリ文化」は何が違うのかといえば、最初はパクリでも、日本人にフィットした機能を追加している点にある。縮文化よろしく、団扇を扇子に形状変更するなど、機能性を重視しており、パクリではないが、ソニーのウォークマンなども機能を追求した結果の商品といえる。
 では西欧との違いは何なのかというと、日本は引き算で余計なものをそぎ落とした形を追求するのに比べ、西欧は足し算による形状の豪華さを尊重する傾向にある。所謂造形美の追求だ。

 今回の佐野氏のパクリ問題には、若干評価すべきこともあるように思う。それは、日本文化に存在する「デザインの多機能性」を持たせた点である。つまり、造形的には模倣といわれても仕方ない部分が確かにあるが、そのデザインを基にした使用の多様性を持たせている点にある。これぞ日本の機能に端を発したデザインであると言えまいか。

 今回の事案で、佐野氏への攻撃はしょうがない。しかし、パクリの範疇を考え直す機会となってくれればと思っている。

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