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2025年4月10日木曜日

平和を嫌う、日本人

 

 「何だか生きづらい世の中になったな」と、最近特に感じることが多くなった。「角度をつけた」偏向報道に塗れたマスメディアから距離を置き、ネット上に散乱する玉石混交の情報を搔い潜り、良質と思しき発信者のみを選りすぐって接しているつもりではあるが、どうしても声の大きな汚れた文言を排除することは不可能なだけに、閉塞感は拭い去れない。  

そもそも日本には、「自虐史観」という言葉がある。これは米国が戦後日本人に対して行った再教育システムである「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」が原点だと思っている。ただ多くの年月が経過する中で、本来なら有識者を中心として思想の揺り戻しが起こって然るべきなのだが、戦後80年を経過した現在でも、大手メディアを中心に、しっかりと自虐史観は生きている。では何故生き続けているのか。そこには自虐的言動を扇動する利権集団との癒着と、マゾヒスティックな歪んだ快感とが共存して、何某かのアドレナリンが発生しているのではないか。

自己を明確に表現しなければならない海外と違い、日本はかつてより自己主張より「和を持って尊し」という風潮が強かった。しかし“全国総中流時代”と言われた高度経済成長期を体験する中、徐々に物事の判断基準が損得勘定に委ねられ、“金”の多寡で世の中の正誤が判断される風潮が政財界全体を覆ってしまった。さらにこんな中で、「公金チューチューシステム」が蔓延しているからたまったものではない。

米国のトランプ大統領の復活は、「Make America Great Again」というスローガンの下、「愛国心」を訴えて圧倒的な勝利を収めた。約30年間もサラリーマンの給与が上がっていないこの日本において、自虐史観のような下を向いた志向性ではなく、「自国愛」を共通のテーマにした経済指標を掲げるだけで、モチベーションのアップに繋がると思うのだけれど、どうだろう。当然今の総理大臣の下では、このスローガンが相応しいとは全くもって思わないが、、、、

2024年11月20日水曜日

首相の品格

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2024/11/17 AP

 人をルックスそのもので判断すること(ルッキズム)は、決して正しい考えだとは思わない。しかしながら、人が直感的に見せる表情や些細な仕草そのものに、その人の本質が現れることは頻繁にある。私も自分の人生60年を振り返れば、初対面の人の第一印象としゃべり方や笑い方でその人の性格などを予想してきて、大抵は当たっていたと自負している。

 さて写真のお方だが、この方の修正しまくりのポスター写真は置いといたとしても、ふと息をついた瞬間の表情は、彼の性格を十二分に表しており、日本人としての品格はほぼ感じ取ることは出来ない。何か良いところを見つけたいとは思うのだが、本当に見つからない。

 人は見掛けには寄らない、とはよく聞く言葉だが、せめて外交上でのマナーだけでも教えてあげる取り巻きはいないのだろうか。インバウンドの旅行者はほぼすべて日本を好きになって帰国いただいているのに、真逆のイメージを撒き散らせいている政治屋さんは、早めのお引き取りを願うばかりだ。

 

2014年8月7日木曜日

平和の願い 十二代藤林徳扇さん遺族 広島市に寄贈

 京都市を拠点に活躍した伝統工芸作家で、昨年10月に亡くなった十二代藤林徳扇(とくせん)さんがヒロシマをテーマに描いた絵が2日、遺族から広島市に贈られた。戦後に見た被爆地の惨状に心を痛め、平和への願いを込めて10年がかりで制作した。遺族は「世界から訪れる人々に見てほしい」と願っている。  縦140センチ、横38センチ。両手を合わせた女神の姿に「母の愛」を表現した。ルビーなど宝石の粉末を絵の具に混ぜる独自手法で、格調高く仕上げた。  この日、徳扇さんの息子2人が市役所で西藤公司副市長に、実物を披露。十三代を襲名した長男の藤林宏茂さん(53)=京都市上京区=は「『平和の礎は世界共通である母の愛にある』と生前に語っていた」と説明した。  戦後にインド洋の無人島に抑留されていたという徳扇さんは、大竹港から復員して京都に戻る際、被爆地の惨状を見たという。  米国ハワイ州で伝統工芸作家として活動する次男の徳也さん(52)は「広島の犠牲の上に今の日本があるという恩返しの思いが父にあったのだろう」と話した。市はアステールプラザ(中区)に常設展示する方針。
(加納亜弥 2014年6月3日中国新聞)

日本の政治をガラガラポン!

   調査会社の「リアル・ポリティクス・ジャパン」のデータにおいて、 2023 年3月と 2025 年3月の政党別の支持率の変化を見ると、自民党と維新の支持率の減少分のほとんどが国民民主党に流れ、支持政党なしの有権者の一部からさらに国民民主党と日本保守党に流れたという結果がよくわ...