人はオギャーと生まれて以降、「必死」になって「死」というゴールに突き進む。「死」がゴールであるならば、せめて人生の結末は、本人の希望を優先すべきではないか。医師は「生の継続」が生業であるし、家族は現状の継続を期待する。ただ人は永遠に継続することは不可能な訳で、ならば各人の「死」への理想形を尊重することこそ、重要な思いやりではないかと感じるこの頃である。
2017年8月25日金曜日
終い方の選択
2017年8月17日木曜日
正に幻想的な祭り
こんな祭りは知らなかった。“火の国熊本”の「千人灯籠踊り」で、先日16日に行われた。
この祭りは千人の女性が頭に灯篭を乗せて「よへほ節」に合わせて踊るお祭りだそうだが、勢いだけのお祭りが多い中、幻想的で艶やかなお祭りが行われていたようだ。
是非とも来年は伺いたい。ここには現代のモラルという衣を捨てて、原始的な人としての喜びが潜んでいるような気がしてならない。
伺います!!!
この祭りは千人の女性が頭に灯篭を乗せて「よへほ節」に合わせて踊るお祭りだそうだが、勢いだけのお祭りが多い中、幻想的で艶やかなお祭りが行われていたようだ。
是非とも来年は伺いたい。ここには現代のモラルという衣を捨てて、原始的な人としての喜びが潜んでいるような気がしてならない。
伺います!!!
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今こそ寛容性を取り戻そう
今米国では、「メリークリスマス」が禁句になっていることをご存じだろうか。その理由は、キリスト教徒の祝祭を非キリスト教徒に強要することに繋がるから、だそうだ。現在欧米を中心に、宗教的側面だけではなく、人種的あるいは性別的側面等において、社会全体を同質化させようとする運動が静か...