約40年前の僕は、毎日時間が足りないくらい夜遊びに夢中だった。仕事も長時間やったけれど、終わってからは無駄の極み。お金と時間を浪費しては、失敗を取り返そうとまた繰り返す。そんな時代を過ごしてきた。
ところが最近の社会はどうだろう。倍速で映画鑑賞、ショート動画でニュースピックアップ、さらにAIでビジネス文書完成。どんどん生活のファスト化が進んでいるよね。Z世代発信の「タイパ」という言葉も定着してきた今、生活行為の時短化そのものが、正義になりつつあるように見える。確かにその合理性は魅力的だし、生活にスピード感も加わる。僕自身、仕事上では大いに恩恵を受けている。でも、昭和生まれのオヤジとしては、ちょっともやもやした感じが拭えないんだ。みんなは「タイパ最高!」と言うけれど、果たして浮いた時間は何に使われているの?
いやそもそも、何のために「タイパ」を目指しているの?
ひょっとして、浮いた時間は「次のタイパ」に回されるか、エンタメの消費時間に補充されているだけじゃないのかな。だとしたら、ネットの向こうで時間を溶かしているのと変わらないよね。
「タイム・パフォーマンス」とは、時間的な効率のこと。つまり何かの目的を果たすための手段であって、目的そのものではないはず。だから節約できた時間は、本来の目的に使われて初めて意味を持つ。貯金が使い道のないまま増え続けても豊かさにはならないのと同じで、時間も「何のために使ったのか」が問われるべきだと思う。
たとえば、時短レシピを使うのも、AIにデータの収集や解析を任せるのも、子育ての時間を確保するためだったり、企画書の締め切りに間に合わせるためだったり、必ず先に目的があるはずだ。その目的に使われないなら、タイパは「なんちゃって人間」を量産しているだけで、意味がない。
では、浮いた時間を何に使うべきか。もちろん明確な目的があるなら、それが最優先。そうでないなら、僕は「メンパ(メンタル・パフォーマンス)」に向かうべきだと思っている。つまり、タイパで生んだ時間を、心が満たされる方向に移してやる。それがデジタル社会を生き抜くバランスになるんじゃないかな。
続きはnote: https://note.com/ikeojisingle2026/n/n0259702f9e79






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