2022年2月10日木曜日

人は後ずさりしながら未来へ


  仏の詩人ポール・ヴァレリーの作品の中に、「湖に浮かべたボートを漕ぐように、人は後ろ向きに未来へ入っていく」という一節がある。あるコラムを拝読して知った言葉なのだが、読んだ時点では理解できなかった。ただ閉塞感が続く時間軸の中で、その言葉の持つ意味が理解できたような気がしている。

 昨年末に内閣府が発表した北海道・東北の地震被害の発生予測に驚愕するとともに、南海トラフの巨大地震の可能性なども合わせて多くの自然災害への不安は治まることは無いが、さらに人口減少を前に身をすくめるだけの日本経済と政治、そして近隣諸国からの安全上のリスク等が見え隠れする中、現在の我々の生活は不安と同居した監禁状況だ。そんな中で心の安定はありえるのか。冒頭の一節がその答えになるのではないか。 

 誰にも未来は見通せないだけに、せめて自らの過去を知り学び親しき人と共有し、そして後ずさりしながらゆっくりと未来に向かう、これにつきるような気がする。


※本文は、令和3年11月27日に山陰中央新報紙の「こだま欄」に掲載された文章です。


2021年11月27日土曜日

「効率的」という病の自覚を

 

 昨年来の新型コロナウィルスの流行は、数年はかかると思われる生活へのネット技術の社会装備を、単年度で実現してしまい、今後もさらに進化し拡大していくのだろう。ただ最近気になる言葉が話題となっている。「スマホ脳」だ。

これは一日2時間以上のスマホ利用によって、鬱や睡眠障害のリスクに晒された脳のことらしい。この事実を熟知している米国のIT関連の事業家は、自分の子どもにはスマホの使用制限を徹底させているそうだ。とすれば、スマホの「ながら視聴」こそ効率的な情報収集スタイルだと思い込み実行していた私としては、その危機感の下使用制限を試みた。

結果はどうか。今まで私の脳に無差別に乱入していた言葉の代わりに、頭の中にぽっかりと小さな自分の部屋が出来たような感覚が生まれ始めた。ひょっとしてこれが今話題のマインドフルネス状態なのだとすれば、利便性から距離を置くことこそ、地頭を強化することなのかもしれない。


※本文は、令和3年11月27日に山陰中央新報紙の「こだま欄」に掲載された文章です。

2021年7月20日火曜日

安心求めすぎているのでは

 

 音楽家の井上陽水氏のヒット作で、「探しものは何ですか、見つけにくいものですか」で始まる「夢の中へ」という曲がある。最近この曲が頭から離れない。未だ収束しない感染症がもたらす社会の閉塞感に耐え切れず、私の脳みそが安らぎを求めた結果、「夢の中へ」という言葉にすがり始めたのかも知れない。ただ曲中に、「探すのを止めた時、見つかることもよくある話で」というくだりがあるため、この言葉に希望を託しているのかなと思えなくもない。

詩人である相田みつをさんの有名な作品で、「セトモノとセトモノとぶつかりっこすると すぐこわれちゃう どっちか やわらかければだいじょうぶ やわらかいこころを持ちましょう」という詩がある。正に今は、「安心」という探し物を求め過ぎるがゆえに、世知辛いセトモノ的な心がぶつかっている状態ではないのか。「探すこと」は続けるとしても、一旦五輪への夢を語れる余裕を共有しようではないか。

※本文は令和3年7月20日に、山陰中央新報紙の「こだま欄」にて掲載された文章です。

2021年5月11日火曜日

東京オリンピック2021開催への懸念

 

 東京でのオリンピックの開催まで2か月余りとなってきた。何とか開催したいIOCや国内関係者と、何がしかの思惑も含めて新型コロナを盾にここぞと反対を唱える集団と、にぎやかになってきている。

 私としては、何とか開催して欲しいとの希望は持ってはいるし、約10万人のアスリートやその関係者が移動することに期待する産業にとってはより一層開催に向けて期待を込めていると思う。それだけに、余り反対をしたいとは思わないが、ただ一つ疑問は残る。それは来日するアスリートの感染に係る問題だ。

 多分来日する人たちは事前に検査を受けるのであろうが、もしも偽陰性で来日し、無症状であっても東京で陽性反応がでる可能性はゼロではない。その際、それがアスリートであった場合、競技に参加できるのであろうか。現在対策されている状況からすると、それは不可能だと言わざるを得ない。とすれば、それが有力なアスリートであったとしても、突然帰国の途に就き、代役が参加することとなる。そんなケースが同じ競技で複数発生しただけでも、その競技の結果の重みは相当低くなるに違いない。逆に実行することに意義があるのであれば構わないが、オリンピックとはそんなアマチュアな競技だとはとても思えない。とすれば、ワクチン接種のみで参加OKとするならば良いが、アスリート全員が確実に陰性である確証がなければ、開催すべきではないような気もする。

 現在の国内の対応については、非常に疑問があるのだが、しかし海外の訪問者が10万人来日するということを考えれば、別次元の考慮をすることが、望ましいのではないだろうか。

2021年5月6日木曜日

ミニマリストの勧め

 

 最近若者を中心に流行している言葉に「ミニマリスト」がある。これは装飾的要素を排除し、必要最小限のモノだけで暮らす生活様式を指すのだが、「断捨離」にも通じる概念なのだろう。私がこの言葉を実践しようと思ったきっかけは、近年多発する自然災害に万が一遭遇した際の現実的な備えへの危機意識が芽生えたことと、自らの終末というゴールに向けて、後々周囲に面倒を掛けないように、日々不用品の整理と超シンプルな生活スタイルを心掛けねばと決意したことにある。

 私事もさることながら、現在の感染症の拡大により「ニューノーマル(新しい常態)」への関心は高まっているが、数年前から倫理に基づいた消費活動の推奨とか、循環型社会の重要性が世界的に唱えられていることを考えれば、この機に国民的にも消費活動を含めた生活様式そのものを見直してみるのも良いのではないか。そもそも欧米の「足す文化」に対して「引く文化」を持つ日本。「わび・さび」の精神を再び呼び覚ませば、日本が世界を文化的にリードしている姿が見えてくる。


2021年4月11日日曜日

「あみだくじ」だよ、人生は!!

 

 還暦を迎え自らの過去60年間を振り返り、あの時こうしていれば人生どうなったんだろう、などと人生の転換点をいくつか辿ったところで、人生は正に「あみだくじ」であることに気づいた。このリアルな「あみだくじ」には、宿命という人生のゴールへと導く縦軸と、「運ばれる命」の寄り道としての横軸が存在しているのだとすれば、人生の分岐点である横軸の数が少なければ堅実な人生であり、逆に多ければ波乱万丈な人生ということか。多分私は後者の部類だろうが。

 但しこの「リアルなあみだくじ」は、宿命というゴールは動かないとしても、自分の経験則を発揮すれば、今後出会いそうな人生の分岐点については、自ら選別できるはずだ。つまりゴール前の花道は、自分で演出できるということかも知れない。

 コロナ禍でニューノーマル(新しい日常)な生活習慣が謳われる中、私にとってのニューノーマルな終末期を迎えるための準備を始めたところだ。

※本記事は、令和3年4月10日に山陰中央新報に掲載された投稿分です。

2021年3月10日水曜日

今こそ「和して同ぜず」精神を

 新型コロナウィルス感染が判明してから約半年が経過した。最近は多少だが人の動きが活発化してきているように感するところだが、経済の悪化や自殺者の増加が明らかとなり、また高齢の親に感染させたとして訪問介護士への訴訟が起きたり、先日本紙で掲載された「保育士のマスクで子どもに変化」という記事にある保育現場での子供の変調等、悪影響自体はむしろ広がっている。半年の間にデータ分析がなされ、感染症の傾向は明確になってきているのに、それを踏まえるどころか、同調圧力的な空気はいまだ漂っており、新たな事態の発生を危惧するところである。
 孔子の言葉ではあるが「和して同ぜず」という、日本のお国柄を表わすことわざがある。これは「協調性を持ちながらも主体性は失わない」という意味なのだが、現在の日本人の姿は、「同じて和せず」と逆のイメージではないか。「同調するけど協調はしない」という印象を受けてしまう。心を少しずつ開いていきませんか。



※本記事は、令和2年11月30日に山陰中央新報紙の「こだま欄」に投稿・掲載された文章です。

2020年10月24日土曜日

『三蜜』という捉え方とは

 


 現在の新型コロナウィルスの渦中では、「密閉・密集・密接」を表す「三蜜」という言葉が定着している。そんな中偶然に知ったのだが、仏教の真言宗を代表とする密教においてもこの「三蜜」という言葉は既に存在していて、「身蜜(正しい態度)・口蜜(言動の慎み)・意蜜(利他への想い)」を指しており、この3つの実践こそが「即身成仏(生きたまま仏になる)」に繋がる、という教えなのだそうだ。造語として発生した現代の「三蜜」は、社会における人との接触に警告を鳴らし、仏教用語のそれは、人としての在り方への警告だと捉えれば、特にこの時期だからこそ、「人間よ、今一度生き抜くための価値観を改めよ」と天からの声が降っているかのような気持ちにもなってくる。

 疫病が時代の大変革をもたらす、という言い伝えもあるようだが、いずれにしても断捨離だけではなく、自身の物心両面における価値観を棚卸して、再考する期間なのかもしれない

※本原稿は山陰中央新報紙の「こだま欄」に投稿・掲載された文章です。

2020年7月3日金曜日

「気」を高めて変化と還暦を迎え撃つ


今年の干支は「庚子(かのえね)」で、「庚=力強い」と「子=始まり」が合わさり、世に大きな変化が起こる年回りになるそうだ。
 今年も既に折り返し地点の現在だが、感染症という目には見えない恐怖が人々の移動を止め、経済を止め、さらに不安に陥れた現実を振り返ると、実は神が我々に対してすべての慣習を一旦消去して、新たに地球上で生き抜くルールを考えろ、と気づきを要求しているような思いにもかられる。
 現在「ニューノーマル」という言葉が流布している。当然これは感染症対応を通して得た経験知を、今後の働き方や生活習慣に活かして行こうというシンボル的テーマだ。私自身も今年は還暦を迎える年であり、区切りの年とも言える。変化の年と言われる今年の後半、どのような変化が起こるかは知る由もないが、火山由来で包まれた「パワースポット」、我が町大田市。ゆっくり温泉に浸かり、「気」を高めて変化と還暦を迎え撃ちたい。

※本文章は、2020年7月3日に山陰中央新報新聞紙上「こだま欄」への投稿文です

2020年1月27日月曜日

日本初!自動運転バス発進

いよいよ、本年4月から日本初の自動運転バスの定期運行が始まるようだ。場所は茨城県境町。

バス本体は、フランスのベンチャー企業で自動運転バスを製造している「ナビヤ」の「NAVYA ARMA(ナビヤ アルマ)」。運営はソフトバンクグループのSBドライブ。


当面は単純なルートでの運行だが、徐々に隅々にまで運行ルートを広げる予定だそうだ。
実際に始まれば、様々な地域に広がることと予想され、楽しみな試みと言えるだろう。
期待したい!!!!!!!!

2019年12月7日土曜日

島根県大田市の観光動画が完成「フニクリ・フニクラ」


お久しぶりです。
我が大田市が作成した観光動画が素晴らしい出来となっているため、是非ともシェアをお願いしたく、ブログを珍しくアップしました。

今後はブログも再開したいと思っていますので、また宜しくお願い致します。

人は後ずさりしながら未来へ

  仏の詩人ポール・ヴァレリーの作品の中に、「湖に浮かべたボートを漕ぐように、人は後ろ向きに未来へ入っていく」という一節がある。あるコラムを拝読して知った言葉なのだが、読んだ時点では理解できなかった。ただ閉塞感が続く時間軸の中で、その言葉の持つ意味が理解できたような気がしている。...