2021年3月10日水曜日

今こそ「和して同ぜず」精神を

 新型コロナウィルス感染が判明してから約半年が経過した。最近は多少だが人の動きが活発化してきているように感するところだが、経済の悪化や自殺者の増加が明らかとなり、また高齢の親に感染させたとして訪問介護士への訴訟が起きたり、先日本紙で掲載された「保育士のマスクで子どもに変化」という記事にある保育現場での子供の変調等、悪影響自体はむしろ広がっている。半年の間にデータ分析がなされ、感染症の傾向は明確になってきているのに、それを踏まえるどころか、同調圧力的な空気はいまだ漂っており、新たな事態の発生を危惧するところである。
 孔子の言葉ではあるが「和して同ぜず」という、日本のお国柄を表わすことわざがある。これは「協調性を持ちながらも主体性は失わない」という意味なのだが、現在の日本人の姿は、「同じて和せず」と逆のイメージではないか。「同調するけど協調はしない」という印象を受けてしまう。心を少しずつ開いていきませんか。



※本記事は、令和2年11月30日に山陰中央新報紙の「こだま欄」に投稿・掲載された文章です。

2020年10月24日土曜日

『三蜜』という捉え方とは

 


 現在の新型コロナウィルスの渦中では、「密閉・密集・密接」を表す「三蜜」という言葉が定着している。そんな中偶然に知ったのだが、仏教の真言宗を代表とする密教においてもこの「三蜜」という言葉は既に存在していて、「身蜜(正しい態度)・口蜜(言動の慎み)・意蜜(利他への想い)」を指しており、この3つの実践こそが「即身成仏(生きたまま仏になる)」に繋がる、という教えなのだそうだ。造語として発生した現代の「三蜜」は、社会における人との接触に警告を鳴らし、仏教用語のそれは、人としての在り方への警告だと捉えれば、特にこの時期だからこそ、「人間よ、今一度生き抜くための価値観を改めよ」と天からの声が降っているかのような気持ちにもなってくる。

 疫病が時代の大変革をもたらす、という言い伝えもあるようだが、いずれにしても断捨離だけではなく、自身の物心両面における価値観を棚卸して、再考する期間なのかもしれない

※本原稿は山陰中央新報紙の「こだま欄」に投稿・掲載された文章です。

2020年7月3日金曜日

「気」を高めて変化と還暦を迎え撃つ


今年の干支は「庚子(かのえね)」で、「庚=力強い」と「子=始まり」が合わさり、世に大きな変化が起こる年回りになるそうだ。
 今年も既に折り返し地点の現在だが、感染症という目には見えない恐怖が人々の移動を止め、経済を止め、さらに不安に陥れた現実を振り返ると、実は神が我々に対してすべての慣習を一旦消去して、新たに地球上で生き抜くルールを考えろ、と気づきを要求しているような思いにもかられる。
 現在「ニューノーマル」という言葉が流布している。当然これは感染症対応を通して得た経験知を、今後の働き方や生活習慣に活かして行こうというシンボル的テーマだ。私自身も今年は還暦を迎える年であり、区切りの年とも言える。変化の年と言われる今年の後半、どのような変化が起こるかは知る由もないが、火山由来で包まれた「パワースポット」、我が町大田市。ゆっくり温泉に浸かり、「気」を高めて変化と還暦を迎え撃ちたい。

※本文章は、2020年7月3日に山陰中央新報新聞紙上「こだま欄」への投稿文です

2020年1月27日月曜日

日本初!自動運転バス発進

いよいよ、本年4月から日本初の自動運転バスの定期運行が始まるようだ。場所は茨城県境町。

バス本体は、フランスのベンチャー企業で自動運転バスを製造している「ナビヤ」の「NAVYA ARMA(ナビヤ アルマ)」。運営はソフトバンクグループのSBドライブ。


当面は単純なルートでの運行だが、徐々に隅々にまで運行ルートを広げる予定だそうだ。
実際に始まれば、様々な地域に広がることと予想され、楽しみな試みと言えるだろう。
期待したい!!!!!!!!

2019年12月7日土曜日

島根県大田市の観光動画が完成「フニクリ・フニクラ」


お久しぶりです。
我が大田市が作成した観光動画が素晴らしい出来となっているため、是非ともシェアをお願いしたく、ブログを珍しくアップしました。

今後はブログも再開したいと思っていますので、また宜しくお願い致します。

2018年3月15日木曜日

「木」も「森」も見よう


 「木を見て森を見ず」、という言葉がある。これは細部にこだわっていては、全体を見失ってしまうことを戒める言葉として使われている。最近特に、マスメディアの報道内容に接するにつけ、日本人はこの言葉を既に忘れてしまったのではないかと思う。
 約4年前、STAP細胞で一躍有名になった小保方春子氏。結局彼女の論文や実証不可能な事例を論われて、バッシングとともに世間から消えて行った。しかし今から2年前、米国の再生医療専門誌において、米国の科学者により小保方氏理論の幹細胞の存在を証明する研究内容が発表されている。ここで言いたいのは、話題になりそうな事象を捉えて繰り返し垂れ流すマスメディアに対して、日本人はもっと大局的な見地も持たなければ、文化の崩壊に繋がることを知らねばならないことだ。
 今日本の社会全般において、モラルの喪失を常に感じている。今こそ、俯瞰した社会の在り方を望む人々が増えていただくことを希望して止まない。

2018年3月4日日曜日

事業家に必要な事




 先日東京商工リサーチが調査した2017年の社長年齢別増減収率の結果が公表された。これが示す明らかな傾向とは、30歳代から70歳代までが社長を務める企業において、年齢が上がるにつれて収益は落ち込み、60歳代以降は、減収率が増収率を上回る結果となっていること。また、島根県の社長の平均年齢は62.59歳で、全国6位となっている。

 ここで言いたいのは、決して年齢が高い企業が悪いということではなく、現代のビジネストレンドは急激に変化してきていて、事業戦略や組織戦略の柔軟な変更に対応しなければ、ボーダレス社会での生き残りは難しいということである。

 京都に本社を置く日本電産という有名企業がある。会長兼社長を務めるのは73歳となった永守氏だ。本年社長交代を決められたが、現役は続行予定らしい。永守氏のモットーは「情熱・熱意・執念」。高齢に差し掛かる企業家は、このモットーに照らして判断するのも一考ではなかろうか。

2018年3月3日土曜日

准ファンドレイザーとして活動開始!!

准ファンドレイザーとして活動を始めます。
今月のチラシをご覧ください。
多くのご意見をお待ちしております。


2018年2月27日火曜日

お伽噺よりも共感を

 「ゆったり清らかなしまね」という言葉はご存知でした?これは島根のスローガンなのですが、多分知らない方が多いと思うし、単純にイメージが伝わりにくい。ただこのような文言は、町の至る所で散見され、何故こんな看板を出しているんだろうと不思議に感じることは多いと思います。何がしかの予算が余ったから作成したとする要因は考えられますが、余りにも無駄な感じがします。


 現社会では、「共感型」が重要だとされています。つまり、夢物語の文言よりも、聞いてイメージできて、共感を得られるメッセージが無ければ、人は動かないということです。観光事業において最近、「体験型観光」がマスコミ的に話題になってきましたが、これはまさに「モノより共感」を重視する傾向を意味します。これは観光事業だけではなく、人にメッセージを届けたい企業や行政においても共通しています。


 お伽噺のようなメッセージではなく、実感を得られるメッセージの発信こそが、人を動かす原動力であることを認識したいものです。

2018年2月22日木曜日

アナログしよう!

 日本全国に存在する伝統的工芸品は、今や国内では美術品として位置づけられ、一般向けの展示会やコンテストが行われているにも関わらず、存続は危ぶまれ続けている。ただ、海外での販売が見られたり、技術の継承者が海外から志願し来日したり、または国内でも、若者が技術を活用した商品開発で起業したりする動きを見ると、徐々にではあるが、微かな起死回生がなくもないかなと思えてくる。ここには、進化する「デジタル文化」の対極にある「アナログ文化」への欲求が顕在化しているのではないか。

 現実的に2年位前から、カセットテープや「写ルンです」等のアナログ系商品が静かなブームだ。これは単に回顧主義的現象ではなく、デジタル社会では解決できない人間としての「心の間」への欲望なのではないか。大量生産品の向こうには、機械が見える。しかし手作りの商品には、人の想いが感じられる。これをもっとイメージ豊かに伝達すれば、高値の花だとしても、手にしたい欲望は高まるはずだと思っている。

2017年8月25日金曜日

終い方の選択

 先日ちょっと気になる数字を発見した。「91.1%」。これは、65歳以上の人を対象に平成24年に内閣府が実施したアンケート調査の結果で、「延命のみを目的とした医療は行わず、自然にまかせてほしい」と回答した割合である。「少しでも延命できるよう、あらゆる医療をしてほしい」との回答は4.7%であったと報告している。ただ何らかの疾患により所謂「延命治療」を受けているのは約半数となっていることから考えると、本人の死生観ではなく、家族の想いが優先している現実が見えてくる。
 人はオギャーと生まれて以降、「必死」になって「死」というゴールに突き進む。「死」がゴールであるならば、せめて人生の結末は、本人の希望を優先すべきではないか。医師は「生の継続」が生業であるし、家族は現状の継続を期待する。ただ人は永遠に継続することは不可能な訳で、ならば各人の「死」への理想形を尊重することこそ、重要な思いやりではないかと感じるこの頃である。

今こそ寛容性を取り戻そう

   今米国では、「メリークリスマス」が禁句になっていることをご存じだろうか。その理由は、キリスト教徒の祝祭を非キリスト教徒に強要することに繋がるから、だそうだ。現在欧米を中心に、宗教的側面だけではなく、人種的あるいは性別的側面等において、社会全体を同質化させようとする運動が静か...