自然から学ぶ人間社会

嘗てクレイジーキャッツの「ニッポン無責任時代」等の映画に象徴されるように、「本音と建前」をうまく使い分けて色んな状況に適応することが、世渡り上手と言われた時代があった。要は自分の個性を出すというよりは、臨機応変にニーズを捌いていく、所謂“カメレオン的”対応が商売の基本であった気がする。しかしながら、その「ニーズ」が捌くほど転がってはいない現代においては、もはやその処世術は時代遅れとなっているようだ。
 それは何故かと言えば、嘗ては「問題を解決する」という“受け身”で成立していたのだが、今は「問題を発見する」と“攻め”の視点がないとビジネスが生まれない時代になってきたからだ。

 では問題を発見しビジネスを見つけて行くためにはどうしたらよいのだろう。
 
 それは常に疑問を持ちながら経済動向を見つめて、その一歩先を読み解いていくことが必要である。と言ってもこれが難しい。日本人が好きなマニュアル本を読んだって、色んな啓発セミナーや異業種交流会に参加したって、ふと気付くと何も会得できていないことに誰もが気付く。知らないよりも知っている方が良いのではあるが、他者の知見やサクセスストーリーは、環境や経験知、さらにDNAが違う他人にとっては、情報にはなっても自分の志向性を左右するほどの知識として蓄積してはいかないからだと思う。

 結局行き着くところは、ソーシャル・マーケティングでも良く言われるように、要は自分自身のコンテンツを深めることである。これは今日明日にできることではないけれど、自らの頭で考え実行し、その結果を検証し改めて行く、その繰り返ししかない。
 そう考えると、以前本ブログでも書いたモルフォ蝶を引き合いにした「構造色」が思い出される。「構造色」とは、そのもの自体には色は無いけれども、そのものの持つ微細構造(フィルター)が起こす発光現象をいうのだが、人間も同様だと感じる。つまり、自分の内面に様々なフィルターを持つことで、周囲の人が与える光で個性的な輝きを発する。そこでやっと独自のコンテンツが確立してくるのではないか。

「カメレオンからモルフォ蝶」へと、人間はまだまだ自然から学ぶことが増えそうだ。

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