今米国では、「メリークリスマス」が禁句になっていることをご存じだろうか。その理由は、キリスト教徒の祝祭を非キリスト教徒に強要することに繋がるから、だそうだ。現在欧米を中心に、宗教的側面だけではなく、人種的あるいは性別的側面等において、社会全体を同質化させようとする運動が静かに広がっている。米国でのBLM(ブラック・ライブズ・マター)という人種差別撲滅運動や、LGBTQという性差別反対運動の世界的な広がりは実感として確かであり、これらの究極的な目的は「ポリティカル・コレクトネス(ポリコレ)=政治的正しさ」を盾にして、社会から差別を徹底的に排除しようとするものである。この「ポリコレ」とは約40年前からの歴史があるようだが、最近特に際立ってきたのは、ツイッター等のSNSにより個人の意見を拡散しやすくなったことと、そしてそれを武器に反ポリコレ的意見をネット上で弾劾し、不買運動や社会的な抗議活動を行う「キャンセル・カルチャー(排除運動)」と呼ばれるお祭り騒ぎがやりやすくなった情報環境の変化にある。その煽りで生活の隅々で徹底した「言葉狩り」が起こっていて、かつて常套句だった「レディース&ジェントルマン」も性を特定するから使用禁止で、「ハローエブリワン」と言い換えねばならない。なんとも滑稽で意味不明、そして生きづらそうな社会が日本人の生活環境にも押し寄せようとしている。
こんな話がある。米国のLGBTQを意識した大学生が幼稚園の女児に対して、「あなたは男の子かもしれない」と言ったことで、自宅に帰り母親に「私は女の子だと思っていたのにそうじゃないと言われた」といって泣きじゃくってしまった。この例に見るように、「差別」は駄目だが「区別」は人としての分別を弁えるためには重要なのであり、世の中の事象そのものの標準的価値基準を理解することこそ、人間の本質なのではないのか。
今の世界のトレンドは「多様性(ダイバーシティ)の受任」ということとなっているが、現実は前述のような「ポリコレ」や「キャンセル・カルチャー」などにより、「多様な意見や人、言葉」を徹底排除する真逆の事態が露呈している。本末転倒である。
森羅万象に神が宿ると信じる日本人は、そもそも多様性に長けた国民性である。それだけに今こそ日本人は欧米かぶれを避け、他国とは違った文化を維持する気概が必要だと思う。少なくとも次の世代を引き継ぐ子どもたちに対しては、「これダメ」とか「それダメ」と言って思考停止させるのではなく、人とは違う価値観を尊ぶような、寛容性に満ちた生活文化を再定義していって欲しいと願っている。