2025年1月23日木曜日

トランプが運んだ「星条旗」と「清浄機」

 

 第47代アメリカ大統領としてトランプ氏が帰ってきた。強烈なラリーを各地で実施し、暗殺未遂事件も神のご加護で潜り抜け、蓋を開ければ選挙で大勝利を収めたトランプ氏。必ずや泥沼化しきった世界全体を清浄化してくれることだろう。当然ながら、自浄化作用が機能しない日本に対しても、ツナミのごとく外圧として襲ってくれるに違いない。 

 世界ではこの数年間、所謂グローバリストと称する左翼思想家が「グレートリセット」と称し、社会の統制を目的とした秩序の崩壊を押し通してきた。それは日本も同様で、政財界こぞって「虎の威を借る狐」のごとく、仮想権力側に寄り添った世論誘導を行ってきた。その成れの果てが、今の日本の総理大臣の姿だ。30年間低迷してきた日本は、最低な状況を迎えて、やっと浄化可能な時代へと進んで行けるような気がするし、そうなれるように期待している。


2025年1月20日月曜日

秩序の崩壊からの次!!


  昨年より所謂「オールド・メディア」と呼ばれ始めてきた大手のマスコミ各社への不信感の増殖は、現在のフジテレビの状況で極まった状況と言えるだろう。フジテレビは単体での存続を狙うのか、他社を巻き込んでの大編成に発展するのかはまだ分からないが、そもそも視聴率低下による収益の悪化に加えて、報道機関としての信用性の低下、さらに人材流出が確実視される中で、フジテレビだけではなく、マスメディアと称される各社は、業界全体として次の枠組みに移行していかねばならないだろう。

 2023年の10月にジャニーズ事務所の性加害事件から始まった業界の腐敗構造の露呈は、約1年を掛けて政治・経済にまで広がり、どんどん粛清の波が押し寄せているが、今年は新しい業界の枠組みがどのように登場してくるのかを楽しみに待っていたい。

2024年12月12日木曜日

「辰」に願いを!!

 

copilotで作成したイラスト

今年は冥王星が水瓶座に回り込む「破壊と創造」の年回りであると同時に、干支である「辰」は「姿を変えて成長する年」と言われているそうで、それだけに年初から期待を持って、世の中の動きを注視してきた。

では今年も終盤となった今、どこかで変革は見えてきているのか。その結果は「見えた」、である。

まずギャングの一掃や経済の復興を実現している中南米の大統領の登場から始まった変革の波は、欧州の政局を大きく巻き戻し、中東での体制崩壊にまで及んでいる。そして米国でのトランプ前大統領の再登板によって、一気にコロナ禍以降の歪んできた社会構造を、世界的規模で真逆に転換する流れが見えてきた。では我々の日本は今どの位置にいるのか。

良きにつけ悪しきにつけ、日本とは機に敏な行動が苦手なだけに、壁が眼前にあっても前進を止めようとはしない。但し一昔前とは違い、ネット経由の世論の影響力は確実に強くなっていることから、日本でも「辰」のパワーで成長を期待できる雰囲気が出てくる可能性はあるかもだ。


2024年11月20日水曜日

首相の品格

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2024/11/17 AP

 人をルックスそのもので判断すること(ルッキズム)は、決して正しい考えだとは思わない。しかしながら、人が直感的に見せる表情や些細な仕草そのものに、その人の本質が現れることは頻繁にある。私も自分の人生60年を振り返れば、初対面の人の第一印象としゃべり方や笑い方でその人の性格などを予想してきて、大抵は当たっていたと自負している。

 さて写真のお方だが、この方の修正しまくりのポスター写真は置いといたとしても、ふと息をついた瞬間の表情は、彼の性格を十二分に表しており、日本人としての品格はほぼ感じ取ることは出来ない。何か良いところを見つけたいとは思うのだが、本当に見つからない。

 人は見掛けには寄らない、とはよく聞く言葉だが、せめて外交上でのマナーだけでも教えてあげる取り巻きはいないのだろうか。インバウンドの旅行者はほぼすべて日本を好きになって帰国いただいているのに、真逆のイメージを撒き散らせいている政治屋さんは、早めのお引き取りを願うばかりだ。

 

2024年9月12日木曜日

国民パワーの集結を!!

 

「公金チューチューシステム」という言葉がある。これは約2年前、公金の不正流用の疑いがあるとして、ある非営利団体を訴えたインフルエンサーが発しネットを中心に広がった言葉なのだが、これを切っ掛けに次々と類似の実態が明らかになっている。昔から一部の業界で同様の実例を見聞きはしてきたが、さすがに国民生活を貶めるかの如く、事実を歪めてでも公金をせしめようとする“お偉い方々”の現状を知るにつけ、身の毛がよだつ思いである。

 この世は様々な層が重なって成立しているだけに、「水清ければ魚住まず」ではないが、是非善悪を殊更訴えようとは思わない。ただこの「公金チューチューシステム」の静かなる侵攻は、モラルハザードという傷口を拡げ、確実に日本社会を破綻に導くだけに、「今だけ、金だけ、自分だけ」的な大人たちの排除は待ったなしだ。正に今こそ日本人の得意技である「同調圧力」を武器に、「三方良し」という社会貢献的な生活文化を呼び戻すべき時だと思う。

2022年7月10日日曜日

今こそ寛容性を取り戻そう

 

 今米国では、「メリークリスマス」が禁句になっていることをご存じだろうか。その理由は、キリスト教徒の祝祭を非キリスト教徒に強要することに繋がるから、だそうだ。現在欧米を中心に、宗教的側面だけではなく、人種的あるいは性別的側面等において、社会全体を同質化させようとする運動が静かに広がっている。米国でのBLM(ブラック・ライブズ・マター)という人種差別撲滅運動や、LGBTQという性差別反対運動の世界的な広がりは実感として確かであり、これらの究極的な目的は「ポリティカル・コレクトネス(ポリコレ)=政治的正しさ」を盾にして、社会から差別を徹底的に排除しようとするものである。この「ポリコレ」とは約40年前からの歴史があるようだが、最近特に際立ってきたのは、ツイッター等のSNSにより個人の意見を拡散しやすくなったことと、そしてそれを武器に反ポリコレ的意見をネット上で弾劾し、不買運動や社会的な抗議活動を行う「キャンセル・カルチャー(排除運動)」と呼ばれるお祭り騒ぎがやりやすくなった情報環境の変化にある。その煽りで生活の隅々で徹底した「言葉狩り」が起こっていて、かつて常套句だった「レディース&ジェントルマン」も性を特定するから使用禁止で、「ハローエブリワン」と言い換えねばならない。なんとも滑稽で意味不明、そして生きづらそうな社会が日本人の生活環境にも押し寄せようとしている。

 こんな話がある。米国のLGBTQを意識した大学生が幼稚園の女児に対して、「あなたは男の子かもしれない」と言ったことで、自宅に帰り母親に「私は女の子だと思っていたのにそうじゃないと言われた」といって泣きじゃくってしまった。この例に見るように、「差別」は駄目だが「区別」は人としての分別を弁えるためには重要なのであり、世の中の事象そのものの標準的価値基準を理解することこそ、人間の本質なのではないのか。

 今の世界のトレンドは「多様性(ダイバーシティ)の受任」ということとなっているが、現実は前述のような「ポリコレ」や「キャンセル・カルチャー」などにより、「多様な意見や人、言葉」を徹底排除する真逆の事態が露呈している。本末転倒である。

 森羅万象に神が宿ると信じる日本人は、そもそも多様性に長けた国民性である。それだけに今こそ日本人は欧米かぶれを避け、他国とは違った文化を維持する気概が必要だと思う。少なくとも次の世代を引き継ぐ子どもたちに対しては、「これダメ」とか「それダメ」と言って思考停止させるのではなく、人とは違う価値観を尊ぶような、寛容性に満ちた生活文化を再定義していって欲しいと願っている。

 

2022年2月10日木曜日

人は後ずさりしながら未来へ


  仏の詩人ポール・ヴァレリーの作品の中に、「湖に浮かべたボートを漕ぐように、人は後ろ向きに未来へ入っていく」という一節がある。あるコラムを拝読して知った言葉なのだが、読んだ時点では理解できなかった。ただ閉塞感が続く時間軸の中で、その言葉の持つ意味が理解できたような気がしている。

 昨年末に内閣府が発表した北海道・東北の地震被害の発生予測に驚愕するとともに、南海トラフの巨大地震の可能性なども合わせて多くの自然災害への不安は治まることは無いが、さらに人口減少を前に身をすくめるだけの日本経済と政治、そして近隣諸国からの安全上のリスク等が見え隠れする中、現在の我々の生活は不安と同居した監禁状況だ。そんな中で心の安定はありえるのか。冒頭の一節がその答えになるのではないか。 

 誰にも未来は見通せないだけに、せめて自らの過去を知り学び親しき人と共有し、そして後ずさりしながらゆっくりと未来に向かう、これにつきるような気がする。


※本文は、令和3年11月27日に山陰中央新報紙の「こだま欄」に掲載された文章です。


2021年11月27日土曜日

「効率的」という病の自覚を

 

 昨年来の新型コロナウィルスの流行は、数年はかかると思われる生活へのネット技術の社会装備を、単年度で実現してしまい、今後もさらに進化し拡大していくのだろう。ただ最近気になる言葉が話題となっている。「スマホ脳」だ。

これは一日2時間以上のスマホ利用によって、鬱や睡眠障害のリスクに晒された脳のことらしい。この事実を熟知している米国のIT関連の事業家は、自分の子どもにはスマホの使用制限を徹底させているそうだ。とすれば、スマホの「ながら視聴」こそ効率的な情報収集スタイルだと思い込み実行していた私としては、その危機感の下使用制限を試みた。

結果はどうか。今まで私の脳に無差別に乱入していた言葉の代わりに、頭の中にぽっかりと小さな自分の部屋が出来たような感覚が生まれ始めた。ひょっとしてこれが今話題のマインドフルネス状態なのだとすれば、利便性から距離を置くことこそ、地頭を強化することなのかもしれない。


※本文は、令和3年11月27日に山陰中央新報紙の「こだま欄」に掲載された文章です。

2021年7月20日火曜日

安心求めすぎているのでは

 

 音楽家の井上陽水氏のヒット作で、「探しものは何ですか、見つけにくいものですか」で始まる「夢の中へ」という曲がある。最近この曲が頭から離れない。未だ収束しない感染症がもたらす社会の閉塞感に耐え切れず、私の脳みそが安らぎを求めた結果、「夢の中へ」という言葉にすがり始めたのかも知れない。ただ曲中に、「探すのを止めた時、見つかることもよくある話で」というくだりがあるため、この言葉に希望を託しているのかなと思えなくもない。

詩人である相田みつをさんの有名な作品で、「セトモノとセトモノとぶつかりっこすると すぐこわれちゃう どっちか やわらかければだいじょうぶ やわらかいこころを持ちましょう」という詩がある。正に今は、「安心」という探し物を求め過ぎるがゆえに、世知辛いセトモノ的な心がぶつかっている状態ではないのか。「探すこと」は続けるとしても、一旦五輪への夢を語れる余裕を共有しようではないか。

※本文は令和3年7月20日に、山陰中央新報紙の「こだま欄」にて掲載された文章です。

2021年5月11日火曜日

東京オリンピック2021開催への懸念

 

 東京でのオリンピックの開催まで2か月余りとなってきた。何とか開催したいIOCや国内関係者と、何がしかの思惑も含めて新型コロナを盾にここぞと反対を唱える集団と、にぎやかになってきている。

 私としては、何とか開催して欲しいとの希望は持ってはいるし、約10万人のアスリートやその関係者が移動することに期待する産業にとってはより一層開催に向けて期待を込めていると思う。それだけに、余り反対をしたいとは思わないが、ただ一つ疑問は残る。それは来日するアスリートの感染に係る問題だ。

 多分来日する人たちは事前に検査を受けるのであろうが、もしも偽陰性で来日し、無症状であっても東京で陽性反応がでる可能性はゼロではない。その際、それがアスリートであった場合、競技に参加できるのであろうか。現在対策されている状況からすると、それは不可能だと言わざるを得ない。とすれば、それが有力なアスリートであったとしても、突然帰国の途に就き、代役が参加することとなる。そんなケースが同じ競技で複数発生しただけでも、その競技の結果の重みは相当低くなるに違いない。逆に実行することに意義があるのであれば構わないが、オリンピックとはそんなアマチュアな競技だとはとても思えない。とすれば、ワクチン接種のみで参加OKとするならば良いが、アスリート全員が確実に陰性である確証がなければ、開催すべきではないような気もする。

 現在の国内の対応については、非常に疑問があるのだが、しかし海外の訪問者が10万人来日するということを考えれば、別次元の考慮をすることが、望ましいのではないだろうか。

2021年5月6日木曜日

ミニマリストの勧め

 

 最近若者を中心に流行している言葉に「ミニマリスト」がある。これは装飾的要素を排除し、必要最小限のモノだけで暮らす生活様式を指すのだが、「断捨離」にも通じる概念なのだろう。私がこの言葉を実践しようと思ったきっかけは、近年多発する自然災害に万が一遭遇した際の現実的な備えへの危機意識が芽生えたことと、自らの終末というゴールに向けて、後々周囲に面倒を掛けないように、日々不用品の整理と超シンプルな生活スタイルを心掛けねばと決意したことにある。

 私事もさることながら、現在の感染症の拡大により「ニューノーマル(新しい常態)」への関心は高まっているが、数年前から倫理に基づいた消費活動の推奨とか、循環型社会の重要性が世界的に唱えられていることを考えれば、この機に国民的にも消費活動を含めた生活様式そのものを見直してみるのも良いのではないか。そもそも欧米の「足す文化」に対して「引く文化」を持つ日本。「わび・さび」の精神を再び呼び覚ませば、日本が世界を文化的にリードしている姿が見えてくる。


トランプが運んだ「星条旗」と「清浄機」

   第47代アメリカ大統領としてトランプ氏が帰ってきた。強烈なラリーを各地で実施し、暗殺未遂事件も神のご加護で潜り抜け、蓋を開ければ選挙で大勝利を収めたトランプ氏。必ずや泥沼化しきった世界全体を清浄化してくれることだろう。当然ながら、自浄化作用が機能しない日本に対しても、ツナミ...