仏の詩人ポール・ヴァレリーの作品の中に、「湖に浮かべたボートを漕ぐように、人は後ろ向きに未来へ入っていく」という一節がある。あるコラムを拝読して知った言葉なのだが、読んだ時点では理解できなかった。ただ閉塞感が続く時間軸の中で、その言葉の持つ意味が理解できたような気がしている。
昨年末に内閣府が発表した北海道・東北の地震被害の発生予測に驚愕するとともに、南海トラフの巨大地震の可能性なども合わせて多くの自然災害への不安は治まることは無いが、さらに人口減少を前に身をすくめるだけの日本経済と政治、そして近隣諸国からの安全上のリスク等が見え隠れする中、現在の我々の生活は不安と同居した監禁状況だ。そんな中で心の安定はありえるのか。冒頭の一節がその答えになるのではないか。
誰にも未来は見通せないだけに、せめて自らの過去を知り学び親しき人と共有し、そして後ずさりしながらゆっくりと未来に向かう、これにつきるような気がする。
※本文は、令和3年11月27日に山陰中央新報紙の「こだま欄」に掲載された文章です。