2013年3月3日日曜日

自然から学ぶ人間社会

嘗てクレイジーキャッツの「ニッポン無責任時代」等の映画に象徴されるように、「本音と建前」をうまく使い分けて色んな状況に適応することが、世渡り上手と言われた時代があった。要は自分の個性を出すというよりは、臨機応変にニーズを捌いていく、所謂“カメレオン的”対応が商売の基本であった気がする。しかしながら、その「ニーズ」が捌くほど転がってはいない現代においては、もはやその処世術は時代遅れとなっているようだ。
 それは何故かと言えば、嘗ては「問題を解決する」という“受け身”で成立していたのだが、今は「問題を発見する」と“攻め”の視点がないとビジネスが生まれない時代になってきたからだ。

 では問題を発見しビジネスを見つけて行くためにはどうしたらよいのだろう。
 
 それは常に疑問を持ちながら経済動向を見つめて、その一歩先を読み解いていくことが必要である。と言ってもこれが難しい。日本人が好きなマニュアル本を読んだって、色んな啓発セミナーや異業種交流会に参加したって、ふと気付くと何も会得できていないことに誰もが気付く。知らないよりも知っている方が良いのではあるが、他者の知見やサクセスストーリーは、環境や経験知、さらにDNAが違う他人にとっては、情報にはなっても自分の志向性を左右するほどの知識として蓄積してはいかないからだと思う。

 結局行き着くところは、ソーシャル・マーケティングでも良く言われるように、要は自分自身のコンテンツを深めることである。これは今日明日にできることではないけれど、自らの頭で考え実行し、その結果を検証し改めて行く、その繰り返ししかない。
 そう考えると、以前本ブログでも書いたモルフォ蝶を引き合いにした「構造色」が思い出される。「構造色」とは、そのもの自体には色は無いけれども、そのものの持つ微細構造(フィルター)が起こす発光現象をいうのだが、人間も同様だと感じる。つまり、自分の内面に様々なフィルターを持つことで、周囲の人が与える光で個性的な輝きを発する。そこでやっと独自のコンテンツが確立してくるのではないか。

「カメレオンからモルフォ蝶」へと、人間はまだまだ自然から学ぶことが増えそうだ。

2011年7月1日金曜日

ライフスタイルに同期した手仕事品マーケティングを

藤林徳扇 作
先日福井県で「和紙、漆器など伝統的工芸品を高機能化」の記事が掲載された。

 非常に良い試みで、その成果を期待するのみである。従来型の既存の素材をベースに、デザイナーとのコラボレーションで新製品発表を行う事例では限界が見えており、素材自体を革新していくことは今後発展的な要素をもたらすものと思える。

 但し多少なりとも不安があるのは、商品化した後のその価格帯と訴求内容である。

 手間暇掛る手仕事モノは、どうしても高価格帯にならざるを得ない。これは当たり前だとしても、今の伝統工芸産業においての大きな壁とも言える。高いからダメ、と言う事ではなくて、そもそも現在の若年層を中心として、伝統工芸品は“美術品”としての認識が高く、日常品として認知は低い。それ故に、わざわざ高額な商品を購入したいという“空気”が存在しない限り、拡販の可能性は限りなく低いと言わざるを得ない。

 伝統工芸品は日本の宝である。しかし残念ながら、“観賞作品”としての認識を突き破るだけのマーケティングを導入しな限り、伝統工芸品の復興はありえない。

 よって、日本の伝統文化を現状の生活空間に活かす意義を含めた価値観を持たせたメッセージが付随したプロモーションを展開しなければ、市場の拡大は望めない。

 現在私も、微力ながら日本の伝統文化を現代の生活空間になじむ商品開発を行っているが、伝統工芸に関わる全ての方々に対して、このテーマに沿った“一般生活の空気感”の変革を促すプレゼンテーションを前提としたマーケティング戦略を実施していただきたと切に願っている。

今こそ寛容性を取り戻そう

   今米国では、「メリークリスマス」が禁句になっていることをご存じだろうか。その理由は、キリスト教徒の祝祭を非キリスト教徒に強要することに繋がるから、だそうだ。現在欧米を中心に、宗教的側面だけではなく、人種的あるいは性別的側面等において、社会全体を同質化させようとする運動が静か...